鎌倉駅近くの江ノ電の踏切で昔の踏切の支柱を見つけた。そうだ、かつては踏切には踏切番がいて、電車が通るたびにハンドルを回して開け閉めをしてくれていた。あの人間を追い立てるような「カンカンカン」という警笛音もなかった。急に昔の電車の記憶が蘇ってきた。
以前、SOLAR CATという雑誌で「時間のデザイン」(no.24)という特集をやったことがある。その編集後記で私はこんなことを書いていた。
「通勤途中の車窓から、あるいは散歩の道すがらいつも目をやるものは道ばたにうち棄てられたものだ。それはおそらく何年もの間、放置されたままの車輪のない自転車であったり、フェンスに挟まったまま赤く錆び付いた空き缶であったり、古い工場の外壁にこびりついた枯れたツタであったり、ガード下の張り紙だったりする。それらの場所は一様に暗く汚いのであるが、しばらくそれを眺めたり、佇んでいたりすると、周りの喧噪が一瞬消えて、自分を取り戻せたような不思議な気持ちになる。それはいったいどこからくるのだろうか。」
私は、そうしたモノや場所を「時間の忘れ物」と呼んでいる。