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地下住居とカナート……イラン合同調査印象記(1)
今から3年前、2001年8月31日から9月9日までの10日間、東京芸術大学益子研究室とOMソーラー協会、OM研究所のイラン合同調査隊総勢16名は、イラン各地の民家調査をした。これは世界各地の気候条件がそれぞれの地域の暮らし方と住居の空間形成にどのようなインパクトを与えているかをフィールド調査しようというもので、第1回目の調査対象として砂漠地帯の民家としてイラン南東部のカシャーン、ヤズド地域の民家が選ばれた(このシリーズ調査はペルー、アンダルシアと毎年続けられており、現在はベトナム地域が調査中である)。
私はイラン調査隊のメンバーとして参加した。以下は調査後、始めてみた砂漠地帯の人々の暮らしの印象を述べたものである。


写真1オアシスの麓までスプロール化しているTEHRAN市

写真2 冬はスキー場になるルチャール山
●テヘランの景観
 イランは北にカスピ海、南にペルシア湾、東にアフガニスタン、パキスタンに囲まれた日本の4倍強の面積を持つ国である。そこに人口6000万人以上が暮らす。国土の北側にアルボルズ山脈、西側にザグロス山脈という5000メートル級の山並みが続き、南東側はキャビール砂漠、ルート砂漠という砂漠地帯になっている。従って、人が住める地域は山地と砂漠の間の高度1000〜2000メートルの地域である。テヘラン、イスファン、カーシャンなどイランの大都市の多くは、この高度の範囲にある。イランの年間降水量の分布を見ると年間降水量は地形にすっぽりはまる。2000メートル以上の高地では300ミリ以上あるのに対し、高度1000メートル以下の砂漠地帯では100ミリに満たない。降水の主体は冬の積雪であり、積雪は春に洪水となり、また地下水となって最後には砂漠に消えていく。イランの人々の生命の源である水資源は、冬季に山岳地帯に降る積雪である。それを伝統的な驚くべき地下水灌漑によって山麓扇状地に都市を形成してきたのである。
 テヘラン市を一望できる高台にあがってみる。足下にはポプラを主体としたオアシスが同じ高度に帯を形成し、その下方に都市が広がる。しかし、きびすを返して山側を見ると草木の一本も生えていない荒涼たる風景である。冬の積雪という水源が、都市とそこに住む人々の命の源であることをこれほど雄弁に語っている景観はないだろう。積雪量が環境容量としてここに住む人々の暮らしの形と人口を規定している。水を無尽蔵に使う重工業はこの国では起こり得ない。テヘラン市の人口がいまや1000万人を超えると言われると、日本に流入してくるイラン人の多いことも納得されるのである。

●水と緑とカナート
 テヘラン、カシャーン、ヤズドと南東に下るにしたがい、乾燥の度合いは高くなる。日本から持ち込んだ湿度計では正確な湿度が測れないほどヤズドは乾燥していた。湿度は数%である。肌にじっとりと湿気がまとわりつく日本の気候から、突然こうした地域に飛び込むとかなりやばいことになる。ペットボトルで日本にいるときの何倍も水を補給していても汗をほとんどかかない。鼻の奥の粘膜が乾き、鼻血が出てくる。雨が降らないので空気中に微細な塵が常にあり、走ったりすると気管支に入り込み喉をやられる。雲一つない天気であるのに砂漠に出ても満天の星が見られないのはこの塵のためである。外気は日中は40℃近くまであがり、日射は肌に直接刺すように感じる。一方、夏の夜の外気は快適で、人々は中庭や屋上のベッドで寝る。日本の夏のように薄モノをかけて寝るのではなく、しっかりと保温性のある布団をかけて外で寝るのである。カシャーンでは早朝に屋上のベッドから起き出す人を見た。また公園に野宿していたバス旅行の小学校の一団もいた。
 こうした極乾燥の風土にもかかわず、どの都市も町村も緑と水が豊富にあることに驚かされる。塀で囲われた邸宅内はどこも緑で鬱蒼としている。遮熱と地面の保水のためである。庭に水をまけば空気が乾燥しているからかなりの冷却効果があるはずだ。樹種は松やポプラが多い。テヘラン市内のポプラの並木道は目を見張るほど大きな大樹で、樹の植えられた足下の側溝には朝夕、水が流されていた(写真3)。日本の雨水を捨て流す側溝と見かけは似ていても考え方はずいぶんと異なる。彼らは路肩に車を駐車して、側溝の水で洗車をする。都市部においても水のカスケード(段階的利用技術)が徹底しているのである。
 イランでぜひ実際に見てみたいと思っていた光景があった。それは古ぼけたモノクロの航空写真で、遠くの山脈から延々と地表にぶち抜かれた機関銃の弾痕のように、縦井戸が無数につらなっていた。紀元前8世紀には象形文字に記されているという人工灌漑インフラのカナートである。積雪は山麓部に地下水として溜まるが、その地下水源地に母井戸をまず掘り、そこから数十メートルの間隔で竪井戸を掘り継ぎ、地下トンネルで連結し、居住地区に運ぶのである。地下水道であるため乾期の蒸発を防ぎ、塩分濃度も抑えることができる。カナートの分布は、東は中国ウイグル地区から西は北アフリカ・モロッコ、イベリア半島まで見られるといわれているが、イラン高原が最も古い。イラン革命後は動力揚水による深管井戸が主流になってきたらしいが、今でも現役のカナートは多い。ヤズドに向かう道路沿いでついにカナートの竪井戸群を見つけた。直径6〜10メートルほどのカルデラ状の巨大なアリ地獄が点々と砂漠に続いている。真ん中に直径80センチほどの穴が空いている。石を落としてみるとしばし音がしない。相当に深い(写真4)。
 地下トンネルから地上に出た水は、まず果樹園を潤す(写真5)。それから集落域に入っていく。日本の山村の水の流れを考えると、湧水地の近くに古い集落はつくられ、まず飲料水を得た後に耕地に導かれる。イランではまず果樹園に導かれるのは、日本における果樹園とその持つ意味が相当に違うことを暗示している。彼らにとって果樹園は収穫を得るだけのものではなく、居住のための環境そのものを形成する、日本の山村における里山のような役割を果たしている。日本ではそれを自然の恩恵として得ることができるが、イランではまさに人為的に緑はつくらなければ生きていけないのである。


写真3 TEHRAN市内のポプラ並木

写真4 カナートの竪井戸

写真5 ザクロの果樹園(KASHAN市内)

写真6 カナートの水を動力源とする水車小屋(KASHAN市内)

写真7 水堰の前で輪番給水の時間が来るのを待つ人(KASHAN市内)
| 旅と調査 | 13:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
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